またバイク関係ないんですけど〜…
あ、でも日曜日に某匿名掲示板で招集のあった同車種の集い、ハイパー集会で八王子の道の駅へ行ってきました!
でも僕含めて3台でした…(そんなだから写真撮り忘れた)
まあ少なくても3ヶ月ぶりぐらいに他人のハイパー見れただけで嬉しかったですね。
次やるときはもっとくるといいな。
で、ここからはサンシャインの話。(バイク関係ないのでそっとじお願いします)
前エントリーでも書いた、サンシャイン!!(以下サ!)はAqoursがカレイドスターのような展開をなぞらえてるというお話についてちょっと深く掘り下げます。
ライバルユニットの存在意義
サ!では7話から、前作同様にライバル的存在のセイントスノーが登場。
彼女たちはA-RISEよりも不敵に、12話では再生数で負けてもなお本戦では絶対に負けないと敵意、というよりは競争心むき出しで描かれています。
A-RISEにも多少そういう描写はありましたが、それは自らが最高のパフォーマンスをしてお客さんを楽しませたいという信条によるものでした。
しかしながら、セイントスノーには脚本では一切そういったことを喋らせません。
勝ちたいですか?との千歌からの問いかけに妹の鹿角理亞(かづのりあ)はバカじゃないのか、と返します。
このあたりで個人的にはサ!でのラブライブという存在がμ’sの時代より思った以上に競技性の高いものに変わりつつある、と憶測が確信に変わりました。
むしろ制作意図として、ラブライブが変容しつつある…いや、しているということを外的要因を用いて明確に提示していると言えます。
ラブライブの変容と時間の経過
8話で沼津へ不名誉の凱旋となった千歌たちは、ダイヤから現在のスクールアイドルの話を聞くことになります。
スクールアイドルは技術重視へと変わり果てたとダイヤは語り、10話の合宿の際には、ダイヤがラブライブの歴史とみんなに講義をしようとします。(”歴史”と提示されるところにも注目です)
ここまでは内的要因(オタクのダイヤを通して)でおぼろげにラブライブは変貌している、と視聴者にチラつかせるわけです。
そして戻りますが、12話でのセイントスノーとの会話でそれは確信へと変わります。
※ラブライブという作品は9人以外の会話というのは最低限でしか展開されないので周囲のキャラとの会話は非常に重要です。
この後にAqoursの9人は音ノ木坂を訪れるわけですが、そこにはμ’sの痕跡すらない、と在校生から聞かされます。
前作劇場版最後のシーンでは雪穂と亜里沙が3年生としてスクールアイドル部に在籍している姿が描かれていましたが、まだその時点ではポスター等が貼られていました。勿論沢山の入部希望者も描かれています。
憶測に過ぎないのですが、技術偏重になりすぎたラブライブにμ’sの誰かがそれを憂いてもっと自由に、楽しくスクールアイドルをやって欲しいと願い、その足跡を消したのではないかと思いました。
少し話を戻して、10話でダイヤが”ラブライブの歴史”と語るからにはμ’sの時代より5年どころではない時間の経過を予感させます。
ただ、4話でマルサン書店で花丸が手に取った雑誌が引っかかってきます。
ルビィから貰ったバックナンバーだったとかなら、お得意のミスリードかとも思えるのですが…どうなんでしょう?書店で手に取った雑誌とはちょっと表紙の色合いが違う別物かな?
内容の写真はμ’sの記事なら時代が移り変わってもいくらでも重複がありそうですし、何よりも作品内では3年生が歌えなかったという描写に関してはかなりミスリードを誘っていたのでなんとも言えません。
ダイヤ幼少期に副都心線が開通していたという事実も見逃せません。
副都心線開通が2008年でその時点でダイヤ様が幼女ということは十数年プラスすることになるからサンシャインは2020年くらいということにすればもμ’sが全員どっか行ってても話通じそう
— すをばふ (@swep36) 2016年9月17日
長々と解説してしまいましたがサ!本編では前作からの時間の経過とラブライブの変容について描写を多分に散りばめられている、ということです。
このあたりを見逃しつつサ!を見続けてしまうと、ラブライブという大会そのものがμ’sの時代とは全く違うものになっているということを見落としつつAqoursやセイントスノー等、登場人物との気持ちのズレが視聴者に大きく生じてしまいます。
そう、Aqoursは技術偏重のラブライブに対して問題提起、ラブライブの否定を始めようとしています。これはヤバイ、もはやタイトルの否定です。
カレイドスターの主人公もシーズン2では技術偏重のステージでよいのか悩み葛藤し、「争いのない、観客も出演者もみんなが幸せになれるステージ」を目指す物語でした。
μ’sのSUNNYDAYSONGがそれを体現したものだと思うのですが、サ!の時代ではセイントスノーを見る限りではその初心が忘れられているような気がしますね。
※追記しました。
「ラブライブは貴様のものではないぞ」「ならば海賊らしく頂いてゆく」
問題の13話ではエントリーしていないと”ステージに近づいてはいけない”というルールがあると梨子から補足説明が入ります。
それにも関わらず、千歌はステージ上で興奮のあまりに”みんな輝こう!”と煽ってしまうわけです。(ステージに呼び込もうとはしてはいない)
カレイドスターTVシリーズの最終話は苗木野そらのパフォーマンスに魅せられ、パフォーマーも最後はステージに上ってきてみんながみんなパフォーマンスを始めて、誰も争わず、客席や舞台が幸せな空間となっていくお話でした。
好きな作品にこういう傍から見たら破天荒な展開があるのでルール破りだろうが昂ぶったことに対する行いは僕はすごく寛容なのですが。
※現実世界でも某フェスでi☆Ris古参が席を離れて他人に迷惑にならないような場所に集まってヲタ芸をしてたのを微笑ましく見ていたことがあります。 なお警備の人に厳重注意されてました。真似はしないでください。
そして彼女たちの輝きに導かれるようにに会場全体は青に染まります。
※この辺は内浦の子たちが席を離れるよりは最前の人たちがAqoursの輝きに惹かれ、段々とそれが会場全体に伝わっていくような描写の方が賛否両論が発生せずよかったのではないかと思いますが、それはそれ。
そしてMIRAI TICKETのパフォーマンスを最後に地区予選の結果も出さずに13話は終わったわけですが、もうこれはワクワクもんですよ、僕は。
僕の想像の通りならシーズン1はプロローグに過ぎなかったというわけですが、0を1にして走り始めた彼女たちは、シーズン2では今の(サ!時系列の)ラブライブと真っ向から向き合う海賊のような存在になるのではないかということです。
地区予選のルール破りを本当にルール破りとするなら失格ととられてもよいですし、勿論このように盛り上がってので特別処置でOKでも構わない。
(先代は大会でアンコールしてましたしね)
個人的なこの考察があっているなら、シーズン2ではラブライブという体制との戦いが繰り広げられるとんでもない展開が待ち受けているわけですが、そんな劇薬が果たして投下されるのか…ま、意外になんでもなく始まってしまいそうですが。
少なくとも0から1を達成したAqoursはみんなが(演者も)輝ける(楽しめる)ラブライブ!を目指し始めるのでしょう。
まさに”みんなが輝く物語”を歩み始めるんだと思います。
前作ではこういうこと考えずに割と頭空っぽに楽しめましたが、サ!はこうやって色々考えながら見るのにも面白く作られていて楽しいです。